池谷薫

2020年8月19日

酒を愛した奥村さん

奥村さんと酒を飲むのが好きだった。新潟生まれの奥村さんは、まさに酒豪と呼べる人だった。でも、どれほど飲んでも乱れない、じつにきれいな酒だった。若い頃は業界紙の記者などもしていたが、原稿を書くのに一升瓶を傍らに置いたというから酒好きの人ならその強さがわかるだろう。

晩年はがんで入退院を繰り返したが、入院中、栄養剤にウイスキーを混ぜたり、病院の前の居酒屋に行かないかと誘いの電話がかかってきたりした。僕と出会った頃は焼酎の牛乳割りを好んで飲んでいたが、体のためには牛乳だけにした方がいいと意地悪を言うと、それだと下痢をする、とすました顔で答えた。

亡くなる前年には酒で逸話を残した。ある日、話があると言われて自宅を訪ねると、いきなりメモのようなものを渡された。見ると、5泊6日で全国各地を一筆書きのように旅する日程が細かく書かれている。この先そんなに長くは生きられないと思ったのだろう。戦友の墓参りや遺族への挨拶など、思い残すことがないようにしたかったようだ。

だが、このときは放射線治療を終えたばかりで、とてもそんな長旅に耐えられるとは思えなかった。僕はその場で付き添うことを決め、ただし今回は1泊2日にするよう言い聞かせた。誤解のないように言っておくが、こんなとき奥村さんは決して自分から付き合ってほしいなどとは言わない。ただ「蟻の兵隊」の撮影中から万一に備えて僕には何でも報告するという約束を交わしていた。

旅の目的は岩手県二戸市の戦友の遺族を訪ね、帰路、仙台に立ち寄り「蟻の兵隊」に出演していただいた金子傳さんの墓参りをすることだった。東北新幹線に乗るやいなや奥村さんはワンカップの日本酒を飲み始め、二戸に着くまでにまず三合飲んだ。それから隣が日本酒の蔵元という遺族のお宅でその酒を二合。さらに仙台に着いて晩酌に二合。さすがにもうこれでおしまいと言い渡してホテルの部屋に送り届けたが、翌朝問い詰めると、こっそり部屋を抜け出し近くのコンビニで三合買って飲んだという。つまり、この日一日で一升飲んだわけだ。奥村さんはこのとき85歳。いやはや何とも立派な肝臓をお持ちで、と僕は呆れるしかなかった。

翌日、金子さんの墓参を済ませた奥村さんは、駅まで見送りに来てくれたお嫁さんと孫娘に決然とした表情で言った。「私はこのまま旅をつづけます」…僕が慌てたのは言うまでもない。

奥村さんは、とりわけ故郷新潟の酒を愛した。22日からその新潟で上映する。きっと彼の気配を濃厚に感じる上映になるだろう。

写真:岡本 央
 

 
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