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執筆者の写真池谷薫

更新日:2020年7月27日

全国ツアーによせたメッセージの最後に「戦争の手触りを語り継ぐために」と書いた。では、その「手触り」とは何か。

たとえば奥村さんの体内には戦後3年たっての戦闘で受けた無数の砲弾の破片が残っていた。理不尽な戦争を記憶する稀有な身体━━。その破片が体の中を動きまわるという。そしてそれが神経に触れて奥村さんを苦しめた。

「蟻の兵隊」の撮影中、とうとう我慢できなくなって摘出手術を受けることになった。右上の写真は57年ぶりに奥村さんの体内を脱したそのときの破片である。大学での上映イベントでこれを学生に見せながら語る奥村さんは圧巻の迫力だった。

撮影:岡本央 さらに奥村さんは空港の金属探知機を無事に通過できなかった。ピーピー音が鳴りひびき、係員が「何か付けてませんか」と慌てて駆け寄る。奥村さんはすました顔で「弾が入っています」と言うのだが、なかなか信じてはもらえなかった。

もうひとつ… 僕は「蟻の兵隊」の中で戦闘シーンなどの一切の資料映像を使わなかった。戦争は奥村さんの顔の中にあると考えていたからだ。日本兵に戻ってしまったときのあの苦渋に満ちた表情がそうだ。あんなに憎んだ日本軍がまだ自分の中に亡霊のように存在する。それに気づいた奥村さんは見るも無残な様子だったが、おかげで僕らは大切なことを知る。戦争は一度行ったら死ぬまで離してくれないのだと。

僕はこれらのことを戦争の「手触り」と呼ぶ。


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