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奥村さんの最期

  • 執筆者の写真: 池谷薫
    池谷薫
  • 2020年7月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年9月20日

奥村さんは東日本大震災が起きた年の5月25日に亡くなった。享年86 晩年は癌との闘いだった。

奥村さんが危ないと知ったのは「先祖になる」のロケで陸前高田の佐藤直志さんを撮影中だった。ロケを終えて中野の病院に駆けつけると、すでに奥村さんは全身を管で覆われ、酸素マスクをつけていた。息をするのもつらそうだったが、彼は僕を見つけるとこう言った。「陸前高田はどうですか?」…

最期までそんな人だった。とても人の心配ができる状態ではないのに、東北の被災地のことが心配でしかたなかったのだろう。直志さんに会わせたかった。2人が会っていたらどんな会話をしただろうか。

ドキュメンタリーは、映画は終わってもその人の人生は終わらない。だから奥村さんとは彼が死ぬまでお付き合いをさせていただいた。大した力にはなれなかったが、病院の手配のお世話をしたり、戦友の墓参りで遠征するときはカバン持ちを買って出た。あれほど深く彼の人生に踏み込んだのだから当然のことだと思っている。せめてもの罪滅ぼしという気持ちもあった。

最後の上映会は亡くなる3カ月前だった。このときは病院を抜け出して会場に来てもらった。放射線治療の合間なので今日のトークはボロボロだろうと諦めていたら、じつに見事な受け答えでキレッキレのトークだった。いつものように僕と「漫才」をやらかし、会場を笑いと涙で包んだ。

終了後は懇親会が予定されていたが、さすがにこの日はすぐに病院に帰さなければならない。「今日はお酒はなしだよ」とつれなく言うと、子犬のような悲しそうな眼をした。「じゃあ一杯だけね」と言ったら、今度は弾けるような笑顔をみせた。その顔が忘れられない。


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