奥村さんは映画「蟻の兵隊」をどう観ていたのか? 奥村さんが初めて「蟻の兵隊」を観たのは2005年の初冬、府中の東京現像所で行われた35mmプリントの完成試写だった。妻の寿子さんを伴ってのことだったが、奥村さんは最前列、寿子さんは最後列と、なぜか離れ離れに座った。それほどその日の奥村さんには近寄りがたい雰囲気があった。 「蟻の兵隊」を観終えた奥村さんの印象は今も鮮明に覚えている。しばらく立ち上がれなかったのだ。試写室が明るくなっても席に座ったままじっとスクリーンを見つめている。近づいて「どうだった?」と訊ねると、しばしの沈黙のあと「これは始まりの第一歩ですね」と訳のわからないことを言った。まっさきに感想を聞きたい人なのに、いいとも、悪いとも、言ってくれない。僕は正直言って不満だった。
撮影:岡本 央 ではこのとき奥村さんに何が起きていたのか。監督として言おう。奥村さんはスクリーンに大写しになった自分とそれを見ている自分とのギャップを埋められなかったのだ。「蟻の兵隊」を客観視できなかった。そして、それはそのまま人間奥村和一が映画「蟻の兵隊」の主人公奥村和一を演じきった証と言えるのではないか。 たとえば、映画の終盤、靖国神社で小野田寛郎さんに突っかかっていくシーン。普段の奥村さんなら絶対にそんなことはしない。だが、殺人訓練の現場を再訪するなど己の戦争に決着をつけるまでになった映画の中で、奥村和一は「奥村和一」を演じることを自分の使命とした。戦争とは何かと伝えるために。あるいはそうすることでしかあの過酷なロケを乗り切る術はなかったのかもしれない。ならば、とてもじゃないが初めて観る「蟻の兵隊」は客観視できない。 その後、奥村さんは試写のたびに観たいと言ってやってきた。映画評論家やコメントのほしい著名人に観せる、いわゆる業務試写である。本当は主演の奥村さんにはあまり来てほしくないのだが、来るなとは言えない。そして4回目か5回目のときだった。奥村さんは僕に「監督、これはいい映画だ」と言った。ようやくスクリーンの中の自分を冷静に見つめることができたのだ。その顔はすこし晴れやかで、ようやく肩の荷を下ろしたといった風情があった。
写真は2005年8月15日、終戦60年の記念式典が行われた靖国神社にて。
池谷薫Facebook
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