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  • 執筆者の写真池谷薫

撮影監督・福居正治のすごさ

撮影監督の福居正治さんのことを書く。福居さんとは僕がテレビのADをしていた頃から30年以上もコンビを組んできた。映画はもちろん12本のNスペのうち9本が彼との作品である。彼のカメラワークによって僕の人間に肉薄するドキュメンタリーは完成されたといっていい。

「蟻の兵隊」の心を揺さぶるカットのひとつに、奥村さんが牛駝塞という残留日本軍部隊が最後の死闘を演じた要塞跡を訪ねるシーンがある。ここでは雨あられと降り注ぐ砲弾の中を兵士たちが泣きながら突撃を繰り返したと言われている。戦後3年たっての戦闘で残留部隊の100人以上が戦死し、50人以上が捕虜となった。

前年の晋中作戦で重傷を負い捕虜となっていた奥村さんはこの戦闘に参加していない。ここを訪れ山西の荒野に骸をさらした戦友たちの霊を弔いたい。奥村さんのたっての願いだった。

だからだろうか、この日の奥村さんは朝から様子がおかしかった。妙なハイテンションでまるで芝居役者のようなのである。僕には険しい山道を登りながら吐く彼の「セリフ」がどうにも臭く見えた。

だが、ファインダー越しに奥村さんを見ていた福居さんはこれでいいと言う。いつも以上の迫真の画になっていると言うのだ。

はたして要塞にたどり着いた僕らは、奥村さんを休ませているあいだカメラのモニターでラッシュをした。狂った僕などはダメならもう一度山を登り直そうと考えている。

結果は…YESだった。奥村さんの潤んだ瞳には戦友たちの無念が映り込み、彼の仲間たちへの哀愁と真相究明にかける狂気が残酷なほど漂っていた。僕はあらためて福居さんの技術に舌を巻き、カメラが切り取る現実の力強さを知った。

写真は「蟻の兵隊」の海外映画祭用のポスターである。要塞に別れを告げる際に奥村さんが放ったセリフと、光の中に消えていく彼の後ろ姿は、この映画の白眉となった。 池谷薫Facebook

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