「蟻の兵隊」を狂って撮った、と2日前の投稿で書いた。その理由は他にもある。
「蟻の兵隊」のなかで強烈な印象を残す場面のひとつに、奥村さんがかつての処刑場を再訪するシーンがある。終戦間際の昭和20年5月、奥村さんは「初年兵教育」の名のもとに罪のない中国人を銃剣で刺殺すよう命じられていた。最前線では躊躇なく敵兵を殺さなければならない。軍はこの訓練を「刺突(しとつ)」と呼び、下級兵士に命じる上官たちは「肝試し」と呼んだ。狂気の沙汰である。中国戦線に送られた新兵のほとんどがこの殺人訓練を受けさせられていた。
その現場を再訪するというのである。奥村さんの思いがどんなだったか想像を絶するが、まるで下手人と一緒に犯行現場を訪ねるような、痛みをともなう道行だった。われわれ撮影スタッフの心は荒び、その日が近づくにつれケンカが絶えなくなっていった。
殺人訓練が行われた町・寧武(ねいぶ)は、偶然にも児童節(中国の子どもの日)の賑わいの中にあった。小さな子どもたちがきれいに着飾り、女の子はお化粧までしている。子どもが大好きな奥村さんが近寄り、「かわいいねえ」と頭をなでる。それが3人、4人とつづき、5人目のときだった。突然中国人の通訳が「ここはそんなことをする町ではありません!」と怒鳴り声をあげた。
奥村さんからすれば少しでも自分の気持ちを楽にしたかったのだろう。しかし彼にとっては、あまたの同胞が殺された町での奥村さんのこの行為が気持ちの悪いものに思えたのだった。
びくっと体を震わせ奥村さんが我に返る。一瞬にしてその場が凍り付いた。そして、こうした極限の精神状態のなかで、奥村さんは静かに狂っていった。(つづく)
写真は、殺人訓練の現場で自分が命じられた行為を語る奥村和一さん。撮る側と撮られる側の距離感がゼロに等しい過酷な撮影がつづいた。
池谷薫Facebook https://www.facebook.com/kaoru.ikeya.1
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