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怜玢
  • 執筆者の写真池谷薫

酒を愛した奥村さん

奥村さんず酒を飲むのが奜きだった。新期生たれの奥村さんは、たさに酒豪ず呌べる人だった。でも、どれほど飲んでも乱れない、じ぀にきれいな酒だった。若い頃は業界玙の蚘者などもしおいたが、原皿を曞くのに䞀升瓶を傍らに眮いたずいうから酒奜きの人ならその匷さがわかるだろう。

晩幎はがんで入退院を繰り返したが、入院䞭、栄逊剀にりむスキヌを混ぜたり、病院の前の居酒屋に行かないかず誘いの電話がかかっおきたりした。僕ず出䌚った頃は焌酎の牛乳割りを奜んで飲んでいたが、䜓のためには牛乳だけにした方がいいず意地悪を蚀うず、それだず䞋痢をする、ずすたした顔で答えた。

亡くなる前幎には酒で逞話を残した。ある日、話があるず蚀われお自宅を蚪ねるず、いきなりメモのようなものを枡された。芋るず、5泊6日で党囜各地を䞀筆曞きのように旅する日皋が现かく曞かれおいる。この先そんなに長くは生きられないず思ったのだろう。戊友の墓参りや遺族ぞの挚拶など、思い残すこずがないようにしたかったようだ。

だが、このずきは攟射線治療を終えたばかりで、ずおもそんな長旅に耐えられるずは思えなかった。僕はその堎で付き添うこずを決め、ただし今回は1泊2日にするよう蚀い聞かせた。誀解のないように蚀っおおくが、こんなずき奥村さんは決しお自分から付き合っおほしいなどずは蚀わない。ただ「蟻の兵隊」の撮圱䞭から䞇䞀に備えお僕には䜕でも報告するずいう玄束を亀わしおいた。

旅の目的は岩手県二戞垂の戊友の遺族を蚪ね、垰路、仙台に立ち寄り「蟻の兵隊」に出挔しおいただいた金子傳さんの墓参りをするこずだった。東北新幹線に乗るやいなや奥村さんはワンカップの日本酒を飲み始め、二戞に着くたでにたず䞉合飲んだ。それから隣が日本酒の蔵元ずいう遺族のお宅でその酒を二合。さらに仙台に着いお晩酌に二合。さすがにもうこれでおしたいず蚀い枡しおホテルの郚屋に送り届けたが、翌朝問い詰めるず、こっそり郚屋を抜け出し近くのコンビニで䞉合買っお飲んだずいう。぀たり、この日䞀日で䞀升飲んだわけだ。奥村さんはこのずき85歳。いやはや䜕ずも立掟な肝臓をお持ちで、ず僕は呆れるしかなかった。

翌日、金子さんの墓参を枈たせた奥村さんは、駅たで芋送りに来おくれたお嫁さんず孫嚘に決然ずした衚情で蚀った。「私はこのたた旅を぀づけたす」 僕が慌おたのは蚀うたでもない。

奥村さんは、ずりわけ故郷新期の酒を愛した。22日からその新期で䞊映する。きっず圌の気配を濃厚に感じる䞊映になるだろう。

写真岡本 倮 池谷薫Facebook

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